(補1 音楽観の考え方のヒント )
音楽観とは、音楽の観方、捉え方です。また観る人の音楽に対する態度や音楽との距離の取り方を含むもので、音楽、自分のどちらにも 重きを置かないこと、つまり自己絶対化、音楽至上主義のいずれも捨てることがその成立条件になります。 要、自己客観観。※1
さまざまな音楽観
◆ ”音楽は太陽神アポロンに仕える女神ムーサイの司る技芸、(詩・歌詞, 旋律・リズム, 舞踊)である。” (古代ギリシャ )
◆ 正しく奏でる(音を響かせる)技術。「天上の音楽」。=音楽は宇宙の運行(秩序・リトゥムと調和・アルモニア)を映し出している。 (中世の基調であった音楽観)
◆ ”響きつつ動かされる形式” ハンスリック(R,Wagnerと親交のあった著名批評家)
◆ ”楽はそれを知るべきなり。初めて作(おこ)すとき翕如(きゅうじょ)たり。◆ 音楽は甘美に響き渡るので、不滅の神々にふさわしいと見なされるべきである。(『対位法について』 ルネッサンスの代表的な音楽理論家 ヨハネス・ティントリークス)
◆ ”音楽現象は事物の間の秩序を確立し、特に人と時間の間に秩序を打ち立てるという唯一の目的のために我々に与えられているのである。” (ストラヴィンスキー )検討例はp.3下に。
「観・VIEW」は主観と客観とを止揚・アウフヘーベン ※2 したものです。
その点、「観」は「文化」との間で、その基盤である一貫性(個性)、および永続性(普遍性)を共有します。
物事、現象は1箇所に固定された点の形で在るのではありません。言わば球状で流動状態で存在しています。
そこから音楽観には観る人の立ち位置,上下,左右,裏表等への視点の配り方、その人の持ち合わせている教養,音楽的素養等のバランスを必要とします。
私の「音楽観」の形成について
私にとっての音楽は、生まれる前から親に用意されていた自明の存在でした。
”自分にとって音楽の意義とは何か?”を考えることも無く、敷かれたレールの上を歩んで来たのです。
しかし、私の当時漠然としていた音楽
また逆に、主に一般学生が履修する教養科目では、”音楽の秘密”に強い関心を持つ学生からの
思いもよらない質問にたじろいだこともしばしばでした。※
(担当科目テーマ:「芸術としてのオペラ」、「音楽の秘密」)
「音楽観」の考え方へのヒント
音楽観を造ることは哲学(美学)の知識と思考法、および実体感の裏付けのある音楽の専門知識を必要とする点でも難しいのですが、 反面自分を識り、生き方を深めるうえで楽しいことです。
◆ ”事物の間の秩序を確立し、”とは。
地球の生態系,宇宙の運行※3、そして身近に感じざるを得ないここ数年の地球温暖化現象等からバランスを保つ秩序が、私達の身近に確かに働いていることが分かります
※3 宇宙はビッグバンと、その後の拡大拡散、および縮小収縮とを繰り返して来た。
その中の太陽系での公転により四季が、自転により昼夜が秩序・リズムを持って一貫し、永続性を持って繰り返される。
(上記の「拡大」と「縮小」、および下記の「増殖」と「死滅」は「反意語」・対概念の関係にあることに留意されたい。)→補2参照
また、体内では細胞の増殖と死滅の交代がこれも秩序正しくバランスを持って行われている。
細胞が死滅せず、増殖だけが暴走したのが癌である。肉体的には3か月で別人に入れ替わるとされている。にもかかわらず、”私は誰、ここはどこ?”と混乱しないのはなぜだろうか?
それはこの文のキーワードの一つである「一貫性」の意識(すなわち「自己存在」への自信)と、
安定感をもたらす一貫性への信頼を人類は持ち続けてきたからである。
こうしてみると人類は、宇宙の法則であり、各自の体内にも内在する一貫性、永続性(文化の基盤)により生かされていることが良く分かります。
→ インド哲学では”宇宙の創造神であるブラフマンは、各自に内在するアートマンと連動して宇宙を動かしている。”とする。 →古代ギリシアの宇宙観・音楽観(P.1参照)
・ | 神などのような全能絶対不変、完全無欠な人間は今だかつて存在しなかった。 また宇宙誕生以来絶対的な権力を持ち不老不死であった独裁者も皆無である。自分の“好き嫌い”で自分以外の政治や天候等をコントロールできたことがあるか?できるものなのか? |
・ | 人間は上半身,下半身が腰を支点としてバランスが執れるので自由に動ける。 また左右の目で距離,方向を偏りなくバランス良くつかめ、左右の手足のバランスも執れるので、正反対方向への条件反射も含めて思い通りの動作がスムーズにできる。 |
◆ ”秩序”とは。
「秩序」は「自由」を保証するものであり、これらも”対概念”の関係にあります。(補2参照)
これも”音楽の秘密”の一つですね。秩序・原則が確立されているから、例外も認められていろいろな表現が自由にできるのです。→自由・個性とでたらめ・我儘との違いはどこにあるのか?
逆を言えば真の自由は自ら秩序を志向するのです。
付け加えると、素材である「楽音」自体が、整数比という秩序を感じさせます。そしてその楽音が過去、現在、未来の「三時制」の間を(楽音が)鳴り響いている間中、整数比から成る音列が猛スピードで往復振動するのです。(補2の※2_1の譜例、および「作品リスト」No.44参照)
そろそろ秩序のあり方・取り方、すなわち音たちの組み合わせ方・作曲法に関心が動きませんか?「音楽」は意読による“
◆ ”人間と時間の間に”とは。
人間が一生の間で持ち合わせている時間は限られています。意義のある人生はいかに時間とバランスを執り切るか? にかかっています。
時間は過去、現在、未来の「三時制」からなります。
しかし実際には「現在」は無きに等しく、「現在」と意識したとたんにスルリと私達の手をすり抜け、一瞬の間に過去に逃げて行きます。
「未来」もほぼ同じです。近い未来ほど(時間に追われていると)すぐに「過去」へと過ぎ去るのです。(ヘタすると「過去」しか残らない。それも悔いだけが。)
ということは、「現在」を充実させるより他に時間とのバランスはとれません。男性にとって代表的な現在を充実させると思われて来た享楽である”飲む、打つ、買う”は一貫性はまあ、あるとしても永続性はありません。醒めれば虚しさだけが残り、より強い刺激に身を投じたくなるだけですから。
その点、音楽は演奏されている現在の瞬間瞬間にしか存在しません。「時間芸術」と言われる理由です。
これも音楽の秘密の一つになります。現在・瞬間を充実実感させるのですから。 →孔子の音楽論P.22
その他に素材である、「楽音」それ自体が聴く人に「三時制」を意識させる点から、作曲法は冒頭部分で全体を予知させ、かつそれを全体に徹底させる技術を必然とすることが挙げられます。つまり、時間と人間とのバランスを執り切るのです。
◆ ”唯一の目的”とは
その意味で自己満足だけの発音は表現ではなく、発散(それも騒音)に終わります。自称“アーティスト・音楽家”と、周囲との間のトラブルの原因
「表現」※4 は情報がお互いに往復し合って初めて成立します。この組み合わせ法が、すなわち言葉では文法であり、音楽では音楽理論(作曲法)なのです。
ここまでストラヴィンスキーの音楽観について、その言わんとする理由と真意とについて私なりの解説を加えました。
難しかったでしょうか。参考になれば幸いです。
以上のような検討の結果、その音楽観の半分ぐらいに納得が行くようになれば、取り合えず日頃すぐに口に出せるように自分の言葉で言い換えます。 それを土台とすることで事物をとらえ直し、深めることにより、自分なりの音楽観の確立に繋げることが出来るでしょう。
客観的考えに不可欠な「定義付け・概念規定」
今ひとつ考えを進める上で重要なアドヴァイスを加えます。重要な用語は必ず自分なりに定義をして最後まで同じ意味で使いきることです。
一貫さえすれば筋が通るので、自分でも納得が行くし、賛同してもらえないまでも言いたい内容については分ってもらえます。
同じ用語を正反対で使わない、矛盾しないことが肝要です。 ※5
以上、満足のいく説明にはなりませんが、関心のある方は音楽観に挑戦してみてください。
100人の音楽愛好家がいれば、100通りの音楽観があり得ます。
← ”「個性」は「普遍性」の踏まえの上に産まれ、その「普遍性」は様々な背景を持った「個性」の集合体である。
逆に普遍性は無限の個性を産み出す母体でもある。→普遍性・universalityを学ぶ重要性→大学の使命(日本の大学教育?)
私は、音楽が人類の一生の友として、自己伸長、自我拡大のための鏡となることを確信しています。 ※5
末永く音楽とおつきあいして頂きたいと願っています。
※5 |
名曲は、誰しもが同じような感動を覚える。まるっきり正反対に感じることはそう多くない。 だから名曲で在り続ける。ただし、そのジャンルの表現法を聴き慣れていること,受容(・鑑賞)経験を積んでいることが前提である。→ボタン「音楽受容(鑑賞)法」参照 また、ある日突然それまでと正反対の感じに変わって聞こえたのであれば、曲が変わってしまったのではなく、 その人が変わってしまったのである。曲は完結しているのであるから。(本人の人格転換?体調急変?) また、作品には作曲者自身の計算外の無意識が現れるし、コンピューター以上の情報量が盛られている。 そのため、聴くたびに今までの感動を確かめ,強め,かみしめるだけでなく、さらに、新しい発見をする喜びを味わえる。 その意味であなた自身の成長(直感の鋭敏・的確さ,視野拡大等について)を映し出す鏡である。(→「鑑賞の本源的作用」) |