私は旅が好きだ。非日常に身を移す事でマンネリ化している自分をリフレッシュし、再発見できるからである。しかし今は“好きだった”が正しい。
と言うのは貧乏暇なしで時間が取れないのである。もっと言うと時間とのバランスがとれた生活をしていないことであり、「時間」を扱う音楽家としては失格であると言う事になる。
もちろん人間らしく生きていないとも言える。
前置きはさておいて、私のウェブサイトには私の創作態度として、“バランスのとれた自分を五線譜等に書き留める事で、自己を確かめる喜びを味わう。”について、るる書き記している。つまり“瞬間と永遠との合一”(孔子、I.F.Stravinskyの音楽観)の自分なりの実感であり、「音楽観」でもある。
これについて以前、旅で出遭ったいろいろな人達との会話を思い出すままにそのいきさつを辿ってみよう。
若い頃は日本中を旅した。マッシュルームカットのヘアスタイルとラフな服装のせいか、そこここで同席した人々から年齢、職業共に不明としてずいぶん関心を持たれた。
金沢ではフリーカメラマン,福岡ではバレーダンサー,北海道では高校の教員?等と訊かれたが、圧倒的に多かったのは作曲・芸術家でないか? であった。
その後に続けて“無から有を生じるのだからインスピレーションを持続させるのが大変でしょう。”のような話がいつも続くのには閉口した。
日本では一般に芸術※(P.4)は高級であり、霊感の領域に属するので庶民にはおおよそ縁遠い代物と思われているようである。=「日本的受容」
→ 小咄:(展覧会,演奏会で)“さすがは芸術だ! ちっとも分らない。”
L.v.Beethovenの言とされる“作曲は1パーセントがインスピレーションで、残りは涙と汗の産物である。”に表されるように、霊感・インスピレーションはきっかけではあるが、全てではない。作曲技法の駆使により初めて楽曲として形になるのである。
「音楽」も“音を楽しむ”と受け取られているが、作曲技法
作曲技法を簡単に言うと、一つの音と曲全体との、つまり「部分」と「全体」とのバランスの取り方である。←「対概念思考」
大げさに言うと、聴き入る事により各々が、
を得られるように工夫する事である。
ところで、私は渋谷駅プラットホームで東日本大震災・3.11に遭遇した。
その日の午前中に渋谷文化村で開催していた『フェルメールとフランドル派展』の帰りで、新幹線に向かう途中の事であった。(なんと、フェルメールの唯一の出展作はこともあろうに『地質学者』!! これぞ虫の知らせ?)
[ それにつけても、その後に見せつけられ続ける、既得権益死守とその拡大闘争の絡んだ政局に奔走する日本のエリート達に、
その展覧会で数多く展示されていた解説文中に目を引いた文言があった。
私の記憶ではその内容は、おおよそ以下のようであった。
“西欧絵画の歴史は、美術技法史である。そのため、“何(素材)”を用いて“どのように(技法)”表現するかが、画家達の最大の関心であった。近年になりこれらに加えて
3.11以降、アーティストを含む多くの芸術家が、各自が自己確認できたイメージを他者に伝え得るには、それまでに身につけた自己確認法・表現技法では間に合わない事に気付かされ、茫然自失であったようだ。
自分の意識と自己の感覚の一致度を確かめ、それを自分以外に伝え、共感し合う
もちろん,表現活動より、ボランティアに意義(←“何のために?”)を見出
し、現地入りをした人もいる。
表現技法・演奏技術は、送り手の送る意義,目的に、より一貫性を持たせ、訴求力を強める
そこから
と、私は、前出の解説文の意味する事について、その後の大惨事に対する周囲や、関係者の心の揺らぎ,言動の振幅幅の大きさを通し、以上のように跡づけた。※「目的」は、自然の猛威、恩恵に対して抱くことから始まる。さまざまな自他の想いを自己確認すると共に、共感し合うことにあるのではないだろうか?
と言うことで話は冒頭に戻る。私にとって作曲とは“自分と自分以外の全てとの間のバランスを執り切る(共感を得る最低条件)手立てであり、これを創作態度としている”のである。
これらの中には、もちろん
(これらに関わるその折々の感慨,情感等を音たちに託すと、例えばどのようなリズムになるか?メロディーでは?音色・サウンヅでは? と想像し、頭の中に響かせ書き留め、推敲するところから私の作曲は始まる。)
このような禅問答めいた内容を酒の場が気まずくならない程度に話を合わせ
ていた若い頃も、今振り返ると楽しい人生という旅の思い出である。何にせよ今だからこのように言えるのであり、当時は場当たりの思いつきで、何の脈絡も無しにそれらを言っていたのに過ぎないからである。
しかし
※ OXFORD英英辞典によると、
art・「芸術」は“
music・「音楽」は“楽しむ,または興奮するように
そして
びつけ合わせること
である。
ちなみに「音楽」,「芸術」の上位概念である
(明治時代に、それまでの日本人の概念に無かったCULTURE, ART,
MUSICそして COMPOSEを、当時の第一級の知識人だった漢文学者
達が日本語に置き換えるのにご苦労した事を我々は忘れてはならな
い。)
私の考えでは「音楽」は単に“音を楽しむ対象”ではなく、“分る,
分らない”でもない。強いて言えば面白いか,つまらないか、つまり
考えている。
→「日本的受容」,「対概念思考」,「音楽観」等については、私の
ホームページを御参照ください。
ところで、私は渋谷駅プラットホームで東日本大震災に遭遇した。
その日、午前中に文化村で開催していた『フェルメールとフランドル派展』の帰りで新幹線に向う途中の事である。(なんと、唯一の出品作であったフェルメールの作品はこともあろうに『地質学者』!! これぞ虫の知らせ?)
[それにつけても、その後の利権確保とその拡大闘争の絡んだ政局続きに奔走する日本のエリート達は、国民がその一生を何事も無く平穏無事に終える権利を託すのに値するのか、と暗澹たる思いに沈んでいる。]
その展覧会での解説文に目を引いた文言があった。
私の記憶ではおおよそ以下の内容:
“西欧絵画の歴史は、美術技法史である。そのため、“何”を用いて“どのように”表現するかが、画家達の最大の関心であった。近年になりこれらに加えて“何を(目的)”が、次いで“何のために”が最優先されるようになったと。
3.11以降、アーティストを含む多くの芸術家が、各自が自己確認できたイメージを他者に伝え得る表現技法が、3.11以前に身につけた技法では間に合わなく、茫然自失であったようだ。自分を確かめ、伝えるに足る言葉が無い。
もちろん,表現活動より、ボランティアに意義(←“何のために?”)を見出し。現地入りをした人もいる。
表現技法は、送り手の送る意義,目的に、より一貫性を持たせ、訴求力を強める手段に過ぎない。
私は、前出の解説文について、その後の大惨事に対する周囲や、関係者の心の揺らぎを通し、その意味する事について以上のように跡づけた。
と言う事で最初に戻って、
フレスコ,遠近、
“何を、何のために”