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翻訳により生じた誤解


ラインナップ4 CULTUREと“文化”の間には深い溝がある。日本語対応語の“芸術”から抜けた“表現技法”(P.1,2図1,2,3および4参照)

このラインナップ4は、P.5に載せた図1,2,3の解説になります。
以下、CULTURE (OXF)と「文化」(『広辞苑』)との共通点と相違点とを挙げます。

 1[相違点] 図4.から分るように両者の第1義同士,および第2, 3義同士は噛み合わず、全く違うものである。
 しかし、“天皇(・権威)の文徳が、生活が便利になるように世の中を開き、国民を教化する”は遣隋使以来のcustoms,beliefs,way of lifeに通じる日本古来伝統的な意味である。

 2[相違点] cultureの訳としてある『広辞苑』第3義冒頭第1文の“人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果”は、同義中第3文に“西欧の〜”との断りがあるように、「文明」の意味が非常に強く含まれている。OXFにはこれに対応する文言が見当たらない。その反面、OXF第一義にあるWAY OF LIFE・生活様式,生き方※1(P.2中下)に対応する文言は無い代わりにOXFには見当たらない
技術,学問,道徳,宗教,政治等が新しく付け加えられている。

 3 共通点はOXFの第2義である“ART・美術(=the arts),MUSIC,LITERATURE”等であり、OXF 第1義の“ART・表現技法”は見当たらない=相違点。 また、CULTUREの今一つの日本語訳となっている「教養」に当る語が両者ともに見当たらない。→「教養」※2が若者の間では建前化し、死語寸前になっている原因?

 以上の比較検討からOXFに当たった限りでは、CULTUREの訳として、「文化」を上記『広辞苑』の第3義のような意味合いで使うのは全く当を得ません。“日本の常識は世界の非常識。”と言われる理由はこの点にもあるのでしょう。 →「日本的受容」

 そのせいか、3.11以降には増えているが日頃マスコミの文化関係の話題としてthe arts関係を良く目にしますが,customs, beliefs, way of lifeに関するものは「文化」として扱われていないようです。

 憲法第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。2.(以下略)」のように、私達が,より善い一生を送る上での価値判断基準になるCULTUREの意味を曖昧なままで,“何となくバラ色の素晴らしい憧れの対象・「文明開化」(その実、建前)”として受け容れただけの一生で終わって良いものか?なんとかならないのか? と考えます。  P.8 ※5「問題点」参照。

 その点からも、この単語としての「文化」は「日本的受容」の原点とも考えられる重要問題語であり、WAY OF LIFEを分り易く、日頃使い易い言葉への再翻訳,およびその周知徹底(含、義務教育での定義付け指導)をする必然性があります。たとえば、“生き方+α”のように。 ラインナップ9 外来語再翻訳提案 参照

  なお、OXFと『広辞苑』とを用いた理由については、本ウェブサイト冒頭「初めまして」のP.2、および本ラインナップP.8をご覧ください。

 ARTについて付け加えます。   
 ARTは芸術一般を指すのではなく、“表現技法,特に素描・デッサン, 絵画, 彫刻のそれ”であり、これに対応する日本語の「芸術」はTHE ARTSの訳となっているのです。
 つまりARTとTHE ARTSとがゴッチャになり、その結果重要な“表現技法”の意味が、ARTの翻訳である日本語の「芸術」から抜け落ちてしまい、作品,演奏,上演等が芸術そのものと受け取られてしまったことです。もっとも明治時代までこれらは趣味骨董,歌舞音曲としてもっぱら楽しみの対象であり、「芸術=表現技法」との考えは無かったのですから無理からぬことです。 → 予定ラインナップ5 音楽はただ楽しむだけのものか。
  ※1「生活様式」:人類の生死,衣食住等の生活面に関する、他の動物と明らかに違う特徴・教養,生活の仕方、すなわち「生き方」
 その時代を超えた一貫性から永続性を併せ持つ。
 具体的には伝統のあるならわし,儀礼,交際・つきあい方,行事などの「慣習」,生き方の基となる「信念(・宗教)」,芸能、または「美(醜)」についての表現技法を用いた作品等の「芸術」, それらを踏まえ、自立した個々人から成る集団や国家の組織方法の特徴等々である。

  

 「様式(スタイル、らしさ)」は、特異性,頻度性,規則性,予測性等を併せ持ち、同じTPOであればブレルこと無く必ず認められる特徴を言う。個性・普遍性の別側面なので、個人ばかりではなく民族,人類として、つまりブレル事の無い日本人らしさ,人間らしさ(人間臭さ,人なつっこさ,人間故のおろかしさ,そしてそれ故の いとおしさ ●●●●● →人類愛・「美」のカテゴリの一つである「フモール」・「第九」の理念)を合わせ持つ。
 歌舞伎,能,狂言,陶器,俳句等は様式美(型・約束事等による)の極みであるとして国際的に評価が高い。

 「生き方」:人類にとっての「生き方」とは、「慣習」が土台となり、その上に「信念」が重なる。さらにそれらを支える 価値判断基準(=一貫性,永続性の現れである「真善美」),表現手段の粋として「芸術・(技術)」を体感、共有することにより、直感によるブレの少い言動が養われ、狭い意味での生き方が定まる。
 広い意味での「生き方」が決まるには特定の国,または集団などの一員としての自分の居場所・アイデンティティー(以下参照)を見つけることが欠かせない。→ 「文明」

 「生き方」は、その拠り所となる一貫性・永続性を
  1.自己、すなわち大バランス追究感に求めるか、または
  2.自己以外の他者・権威に求めるか、 ※1_2
    の2つに大きく分けられる。いずれにしろブレがより少なく、自他を損じることがより少なければ、これらの間に優劣は無い。(宗教を錦旗として起こされる抗争,殺戮は不可解)
 なお、仏陀の最期の教えである「自灯明。法灯明。(『涅槃経』)」は、上記1,2を総合した哲学と考えられる。

 「アイデンティティー」:この語も日本の古来からの思考・生活様式・文化には無い。思いつくままに「自己確認」,「同一性(一貫性)」,「帰属母体」,「自分の居場所」,「自己肯定感」,「生きた証」,「自己証明」,「暗証番号」等があげられるが、いずれも帯に短し、たすきに長しで納得のいくものではない。
 無理に訳すと恣意も入り,とんでもない意味で独り立ちする(=日本的受容)ので、むしろ原語のままで用例を多く識ることが重要。

※1_2
 明治維新までの日本民族は“お天道様”に代表される逆いようのない自然現象に身を委ねて来た。地震・津波・噴火・台風等々に。
 その意味で、自然を征服することを目的として発展して来た科学を万能視することは日本人の生き方としはそぐわない。

※2「教養」: 原語であるラテン語のcultraの意味が“土地の耕作と動植物の培養(→agriculture・農業)”であり、そこから転じて“心の培養、修養”、すなわち教養となった。この考えはドイツ語圏に強い。これに対して英米では市民権,およびその資格の色合いが濃い。
 『広辞苑』の第1義では“教え育てる”であり、「教育」と同一。そのせいか学生はキョーヨーとして専門科目に比べて軽んじる傾向にある。→ 専門家バカ,オタクのもと?
 OXFの「way of life」には“心の修養”,および“市民権とその資格”が内容的に含まれている。そこからか日本学術会議教養・一般教育第二分科会では、教養を、民主主義を支える市民としての必須科目として位置づけている。

 現代中国では自由民権運動活動家の収容更生施設に「労働教養制度」として「教養」が使われ、『広辞苑』の第一義が強められている。 
「文化大革命」中の「文化」の意は?     

「生活様式」は日常生活ではほとんど使われない考え方です。その要は自分にとって一時的に関心を持った事柄ではなく、伝統として古来より名も残っていない無数の人たちに一貫して認められる特徴を備えているものが生活様式であり、文化の名に値するのです。
 その点で一過性のブームのようにも見えるが、欧米人に先に認められ、輸出産業としても利用されつつある「カワイイ文化」、「マンガ・アニメ文化」の今後が楽しみです。  補4参照 (奈良、平安時代からの伝統につながる。)

    

「文化」の由来について。「文化」も中国からの移入語で言わば二重の日本的受容を受けている。
 訳語として当てはめられた「文化」はもともと日本では文化文政時代(徳川11代将軍家斉の治世の頃、およそ1880年の前後80年ぐらい)に漢籍である『文選・もんぜん』から年号として採られ、一般にも使われるようになったようです。その字源による大意は、“飾りとして生活を豊かにし(=「文」)、民を教え導いて善に進ませる(=「化」)徳を得るに足る学問”とでもなりますか。 
 原典が手に入らないので、憶測ですが、歴代の中国皇帝の対大衆政策の一環だった、と考えられます。理由は『漢字源』にあります。
「国民」の「国」は“境界を囲み矛で守る領域”の意であり,また、「民」は“盲人のように物の分からない支配される人々。(古くは目を針でつぶされる刑罰を受けた奴隷。)”の意なのです。つまり、“文徳による無知文盲な民(・たみ)の教化”が大帝国を維持する上で必然だったのです。
 明治維新当時に翻訳に関わった、天皇制の下に強力な統一欧風文明国家を創ろうとした学者群の感覚からすると、「民主主義」は“愚民主義”とでも映ったのでしょうか。また、アジアの国名に「○○民主主義○○国」とあるが、実情と違うことに何となく異和感を感じたのもそのせいでしょうか?
 この裏付け理由は、中国史中に窺えます。歴代の各帝国は、何百年と続きますが、農民の暴動や、少数民族の反乱,侵入によってあっけなく滅ぶ繰り返しなのです。
 市民,国民,民衆,臣民,人民などに共通する「民」の意味は? 我が国には西欧並みの市民は存在しているのか? 世論調査を根拠とする主張に正当性はあるのか?

・ 西欧人にとってのCULTUREの意義
 CULTUREは人類が作り出し,世代を超えて後世にリレーし続けています。逆に言えば、 私たちは文化によって育てられ,生活能力を身につけ,人になれたのです(「成人」)。その点で西欧人は、文化は自分そのもの、人類そのものであり,アイデンティティー( =自分の居場所,自己肯定感)の証である,として国を挙げて大事にしているようです。
 例えばヨーロッパの広範囲でのローマ遺跡の保存,文化人ゆかりの建物等への国旗掲揚、当該文化人,または“自由”への殉死者に関するプレイト設置、世界遺産であるワルシャワ,ドレスデンのように爆撃徹底破壊された町並み全体の徹底修復復元、ひいては文化人の国葬まで。  

効率優先で、古いもの,伝統あるもの等は古くさい,時代遅れとして取り壊してしまう我が国では彼らの文化への想い・こだわりは想像もつかないことです。ちなみに国葬については我が国では民間人1人だけで、それも元政治家です(官尊民卑)。それにつけても東京中央郵便局,歌舞伎座等々の改築は、エッフェル塔が中世の町並みと調和を保っているようなパリ等の佇まいをもたらすのでしょうか?        

 西欧では国家が各都市にあるオーケストラ,オペラ座,美術館,博物館等の文化団体や施設の維持管理運営予算を年々削り続け、解散,閉鎖に追い込むようにすることはあり得ないでしょう。また国民の意識として自分,すなわち日本民族の誇りと尊厳に関わるものとして、身銭を切って自らささやかなパトロン※3 となるのが大勢であれば世論調査に敏感な政治家、ひいては官僚,財界人も経済的効率を錦旗とする無茶は出来ないはずですが… 。我が国にも地方に遺る芝居小屋等の例あり。

※3 ささやかなパトロン: 欧米には「寄付文化」が根付いている。たとえばオランダの「文化くじ」。これは文化の振興を目的としたもので、当選金が審査で選ばれた団体に最低でも約2千万円強を5年間続けて配分される。また文化団体への寄付には税制上等の様々な特典があるため、国によって違いはあるが、文化関係団体の総経費の30から60%を賄っている。

 なにしろ農業、工業ばかりでなくCulture大国と目される事が自国のブランドを強めることに繋がり、誇りとなるのです。国旗、国歌を強制するより、日本人としての一貫性・永続性を文化を通して国民の誇りと団結を感じ、確かめ合い、そのために日本文化を世界 に向けて発信する方がよほど愛国心を養うであろうし、有効な政策になることでしょう。

 “経済大国の次の我が国の在り方としてCulture大国を目指すのがベストな選択”だと私も考えますが、皆さんはいかがでしょうか?  

 以上、“文化 vs. CULTURE”にまつわる連想を書き連ねました。
 対費用効果で仕分けるような扱いが、cultureを生き方・価値基準とする西欧社会では到底起こりえない事をお分り頂けた事と思います。→CULTUREを“豊かな物質文明”と解し、価値判断基準・生き方を文徳・権威,大勢に委ねて100余年過ごしてきた結果?

・ 異文化理解は自国文化の理解・自己確認が土台
 CULTUREは2つ以上の出会いにより、それぞれがお互いに影響し合い双方が共有できる、よりレベルの高い次元へ変わります。(→「アウフ・ヘーベン」 補2P.22※2参照)
 例えば19世紀末の多民族国家であったオーストリーのウィーンに興った「世紀末文化」、近いところでは第2次世界大戦後の移民のるつぼであるアメリカ文化(文明?)
 また、他を知ることは自らをより深く知ることであり、また自らを知りたくば他を知らねばなりません。「芸術」の原動力である自己表現意欲は自己確認意欲に他なりません。
 また、芸術を直観的に受容・鑑賞できることは、ブレず、後悔せずに済む自分の直観行動力を自信を持って受容できることでもあるのです。

 これが異文化理解の重要性が声高に語られる理由です。しかし大事なことは“自国文化の持つ、個人の一貫性・永続性に関する特徴(尊重,抑圧の別、そして馴れ合いによる異分子排除等が原因となる、大人社会の方が深刻なイジメ社会の存在)を識り、絶えずそれらの有無,強弱をチェックすることを怠らないこと”,を忘れてはなりません。

 我が国は残念にも地政学上の地理的位置から、他文化と衝突をしながらもお互いに切磋琢磨する機会が殆どありませんでした。自他の同一性・差異性の区別を付けることが自己確認の基であり、自国文化 を発見できる能力となります。そこから残念なことに日本に憧れて来た外国人から日本文化について目を開かされた経験を持つ人の多いのが現状です。
 この点から近頃“ガラパゴス現象 ※4”としてステレオタイプ化し、日本文化の特殊性,ひいては民族の優越性を主張する考えが力を得つつあるようですが、わたしはそれは余りにも自他の共通点・相違点に対する目配りが足りな過ぎると考えます。

※ 4ガラパゴス:南米エクアドル洋上の火山群島。(日本列島と同じく)大陸から孤立しているため、独自に進化した動植物が多い。(であるから同じく日本文化、および日本人は特殊で世界に誇れる存在である。←「概念不当拡充の誤り」=論理学用語→地理上の特徴,動植物分布と民族の優劣とを同一レヴェル、つまり共通点・同一性に注目し、相違点・差異性を無視する根拠はどこにあるのか?)

 このように音楽という「部分」を、「全体・文化」から見直し始めた出発点で、これだけの元の意味と違った「日本的受容」がされ、問題点※5を生じているのです。果たしてこの先に検討予定している「芸術」,「音楽」はどうなることでしょう.....。  
 皆さんの文化観との共通点(・相異点)はいかがだったでしょうか?

※5「問題点」:解決すべき矛盾点。 
 現時点では以下の現象を検討中。

1 各地方に根づいた言わば土着の「慣習・年間行事」,「信念・民間信仰・オバケ」,「生活様式・生き方」,「方言を含む表現技術・芸能」などについて地元自体が文化としての受け止め不足。
←地方は時代遅れで貧しく価値がない等との明治維新時以来の洗脳結果?
→若者の都会志向,ひいては農業衰退のもと。
現在、日本文化として認められているものは,日本人自身が認めたものは少ない。主に明治維新前後に来日した欧米人が発見,認知したものである。この傾向は今でもそう変わらない。→欧米の文化観が日本では“権威”=“建前”?
2 一方、外来文化、特に芸術関係も高級、ハイカラ等との受容からステイタス化し、一般からの支持が低く、日本社会から遊離した。→某自治体首長言:オーケストラなんて一部の人達だけのものでしょう? 補助金の削減は当然です。 そのため、“楽しめる”もののみがアート,エンタメ,アニメ等と和製英語化して日本的受容された。これらは一昔前には「文化」以前の低俗なものとして不当に軽んじられていたが、外国で認められ、輸出産業化の見通しもあることから“サ ブカル”として一躍表舞台に躍り出た感がある。どれだけ「文化」・Cultureとして認めら れたかは、はなはだ心もとない。
3 自国文化をありのままに認め、異文化も同じように受け入れ、最低限の文化的生活を送れるようにすること、そしてその上にアウフ・へ−ベンにより、より高いレヴェルの文化的生活を楽しめるようにするには何が不足しているのか?
予想としては「文化」等の再定義を踏まえた判断基準(「真善美」について)を身につけること、つまり「芸術受容(鑑賞)教育」の見直しであろう、を思いつくぐらいである→本ウェブ・サイトP.2「受容(鑑賞)留意点」参照。

WAY OF LIFEには“生き方”がふくまれる。

 「日本的受容」(ラインナップ11参照)については私の全講義科目のキーワードだったのです。しかし突っ込みが足りなくて、ここまでひどいことに在職中に気付かなかったことを悔やんでいます。
 今回考えを進める上で最後まで手こずったのはWAY OF LIFEと「生活様式・生き方」との関連付けです。
 初めてOXFを手にした時、とっさに「生き方」と理解しました。そのままで30有余年過ごしたのです。今回WAYと LIFEを各辞書,特に哲学事典で検討して初めて「生活様式」が相当することに気付きました。
 しかし、「生活様式」は我々にとって殆ど日常的に使われる言葉ではありません。「生き方」が頭から離れなかったこともあり、何人かのネイティブに教えを乞うたところ「生き方」も含まれるとの答えをもらえたのです。そこで両方を結びつけるヒントを捜しました。それが 図3にある“Cultureの特徴としての「言語」,「音楽」,「宗教・信念」”だったのです。

 

 「比較文化学」関係等についての不勉強もあって、本ラインナップ内容を含んだ出版物を目にしたことがありません。私としては門外漢からの問題提起、と受け取って頂ければ幸いです。

 

 なお、日本語対応語として哲学用語を使ったのは、哲学は概念規定・定義付けが厳密であること,および国際的学問なので、その用語は語源に基づいて英語等の国際共通語で表示されていることによります。

  

 英語学,美学を含む哲学,比較文化学,宗教学等に関心を持っている方からの反論,助言等で私の「生き方」についての考え方を修正,深化できることを期待しています。

 

 以上で取りあえず今回は、「文化」を納得のいくまで深く掘り下げてみました。次回更新時には“CULTUREと「文化」の間には深い溝がある。(その2)”として「art,およびthe arts」、次いでいよいよ「(Musicの日本語対応語である)音楽」に移ります。

 文化に関する雑学的知識については「補4Culture雑感」(予定)をご覧ください。

 追記:「トラッド・ジャパン」(NHK教育番組他放映)の“サムライ編”でWay of lifeの訳として以下の用例がありました。 Way of lifeはCultureの第一義

・戦いが本業であった侍達は全く違った生き方を余儀なくされました。
Fighters by trade, the samurai had no choice but to embark on a completely different way of life.
・坂本龍馬は勝海舟に出会って生き方を変えました。
Sakamoto ryoma changed his way of life after meeting Katsu Kaishu.


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