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3.11回想記

去年11月に予定していた、おととし11月のアップ以来初めてとなるリニューアルまでの間に3.11が勃発しました。激しいショックを受けました。自分の感じ方,考え方,生き方,表わし方等々がいろいろと揺れ動き、五里霧中の間に1年半余りが過ぎ去った感がしている今日この頃です。(「私にとって作曲とは」参照)

 このたびの東日本大震災に際して、皆さんから心温まるお見舞いをいただき有難うございました。

私につきましては、
 前夜(JFC主催「第15回アンデパンダン展」)での「ピアノ曲No.4」の改訂初演の翌日、渋谷の文化村で"フェルメール展(なんと『地質学者』!!)"を見ての帰りにJR渋谷駅のホームで地震に遭いました。
天井の鉄骨がガチャガチャとぶつかり合い、頭を守る場所を必死に捜しました。その後は300万人とも言われる帰宅難民ラッシュに混じり、宿を探し回りましたが果たせず、結局マン喫に2時間余り立ち並んで横になることが出来ました。
 3, 4日で新幹線が再開するだろうと常宿で仕事をしながら待ったのですが、TVで仙台駅の惨状を見るにおよんで日本海周りで帰る決心がつきました。
計9時間かけ、上越新幹線、羽越線、高速バス(鶴岡から山形、そこから仙台へそして在来線もストップしていたので、タクシーで愛子・あやしの我家へと。)と乗継ぎました。その間座席に計約8時間あまりも座っていたので、今でも腰が痛みます。各連絡が良く待ち時間が殆ど無かったことはラッキーでしたが。
 しかし、家屋, ライフライン等には殆ど支障がなく、10日間ほど毎日のように店頭に2, 3時間並んだり、石油, ガソリンの補給が思うに任せなかったぐらいで済みました。ご安心下さい。(家族にとっては、私が不在中の最初の3日間の停電等はつらくストレスフルだったようですが...。感謝、感謝。)
ちなみに散歩道として写真でご紹介しましたように、我が家は広瀬川の河岸段丘上にあります。地元の方の話ですとそのため、岩盤が固いとか。

 それより、ご家族を始め、生きる術を一瞬に喪ったあげく、そろそろ1年半になろうとする今もなお、以前の平凡にして無事の繰り返しであった毎日を、県外への避難生活等で回復され得ない
34万人余(341,235人、10/05/12現在復興庁ウェブサイト)の方々に

「お察し申し上げます......。」以外に思い浮かぶ言葉が見つかりません。

また、自衛隊, 警察, 消防の皆さん, 特に劣悪な待遇しか用意されない中で命と引き換えで踏みとどまっておられる東電協力会社の作業員,
およびその家族の方々の献身に対しても

「有り難うございます。皆様のお蔭で多数の日本人が今日一日生き延びることができました。本当にありがとうございます。」以外の言葉は気持ちとしっくりとせず、なにか空々しく、言葉の無力さを感じるばかりで、ただただ頭を下げるのみです。

 

  付記 お薦め、またはお願い

 ぜひ時間を作って、どこの被災地でも良いので、がれきの山等が撤去されない前に見学にいらしてください。

 TVや写真報道で受ける印象とは余りにもかけ離れた光景に激しいショックを受ける事でしょう。自然の猛威と、それに比べて人間が前回の、いや大昔からの大津波以降に営々と一から築き直して来た伝統ある町並み(・文化)のはかなさ、と共にやり切れなさ等々。

 そして今は何事も起らなかったかのような母なる海の佇まい・・・。

 現場に足を踏み入れるまでは、どこかの他人事として受け止めていた自分が、その場に、現実として居る事(矛盾)に、気づいた瞬間、一人一人の感じ方, ものの見方, ひいては生き方の、何か、なにかが変化し始めたように私は受け止めました。

(”芸術の意義は、「マンネリ化し、矛盾に満ちた生」に、再生へのきっかけとなるショックを与えること,価値観の転換を迫る点にある。”の言と、実際の惨状を目の当たりにした人々の上記のような反応, 思いとの間に、この「芸術の意義」を共通点として感じるのは私だけでしょうか?)


現地の交通状況にくれぐれもご配慮下さい。
加えて、あなたが見聞きして印象に残った事を忘れないためにも、周りの人達に語り続けて頂けるように希っています。


01/09/11
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