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私の音楽観の背景


(補2 「私の音楽観の背景 音楽の秘密の基礎である“対概念思考法”」 )

 私の音楽観を読んで、一般的な音楽観との違いにかなり戸惑ったことと思います。以下に考え方の背景を述べます。

 

・生きる上での基盤であるバランス感覚

「音」と「沈黙・休符」を「素材」として、「形式」と組み合わせた表現方法を産み出したもととなったのは、 バランスを伴った一貫性追求感覚です。

 バランス感覚を身につけるには、自分の狭い経験、知識、推理能力、想像力等で世界を、または、人類の歴史を、そして宇宙を自分に都合良く極め付けて思い込む癖を取り除く努力を続けることが欠かせません。
 つまり、自分と自分以外の全て、とりわけ時間との「相対・絶対化」が出来ている状態に在るか? をいつもチェックし続けることが必然となります。

 その点で、CULTUREはWAY OF LIFEであり、該当するcustomsや beliefs, art等が個人の一生を遥かに超えた一貫性、永続性を持った存在であるのです。
 これらとバランスを執りきることが、それらとの間で普遍性と同時に個性を確かめ、人類の一人として生きているという確かな自信を持てることになる、と納得したのです。(以上の英単語はOXF.のCULTUREから引用。)


・要、言語、特に日本語対応語とのバランス

 次に、個性を特徴づけるものに民族性の問題があります。民族性は言語(・詩・文学), 宗教, 音楽・踊りにあらわれます。 (P. 図3参照)

 そのために民族紛争では征服者はこれらを徹底的に弾圧する歴史を繰り返してきました。

 日本語の特徴は、中華文化そのものである漢字を使って翻訳された事にあり、この日本的受容がされた点で日本の文化、すなわち日本人の生き方に多大なメリット、デメリットを与えてきました。
 その例の一つが、今回検討を通じて浮かび上がったMUSIC, ART, CULTUREに対する日本語対応語の持つ問題点です。(予定ラインナップ9)

 原因として考えられるのは、「西欧圏」とインド,中国,日本を始めとする「(東)アジア圏」との思考方法の、特にバランスについてのそれの違いが考えられます。
 日本の特殊事情としては、明治維新の引き金となった欧米帝国主義に対抗するには出来るだけ早く天皇中心の強力な統一欧米風文明国家を作らざるをえなかったことは周知の通りです。『龍馬が行く』,『坂の上の雲』,『篤姫』等で。

 

 哲学・美学の応用分野である音楽と生涯かかわり合ってきた私は、哲学を含む専門辞書、およびOXFと『広辞苑』,『漢字源』 および各種英和・和英辞書を比較参照する習慣を身につけました。
音楽、芸術、文化に対する一般的な受け取り方が馴染めなかったからです。
 特に教職に就いてからの音楽科学生の進学理由である“音楽が好きだから”とする言と、彼女たちが難しいことや苦手なことにぶつかるたびに、“嫌い”として逃げてしまうこととの間の余りのブレの大きさ、言行不一致には納得が行きませんでした。
 個性の表われとして好き嫌いを盾にし、錦の御旗にすることと、我が儘との違いがつかないこと,ひいては大学で音楽を専門として追及する基礎資格があるのか?に対しても。

 次に私の考え方であり、私の造語でもある”対概念思考法”について述べます。

 

・“対概念思考法・感性”とは

 この考え方は、哲学辞典などからヒントを得て私なりに工夫したものです。
このウェブサイトの始めの部分で、「個性」については「個性」・「普遍性」のように、また「表現」については「受容(観賞)」と並べて示しました。
これらはお互いに関連し合っているので、片方だけを取り出してそれだけについて考えても満足のゆく答えは出ません。
 そればかりか、注目した方だけに執らわれ、思い込んで、ことに及ぶという危険を冒すことになります。※1

 例えば、“明るさ”の優劣を比べるのに、真っ暗闇の中のタバコの火と、真夏の快晴日の真昼の太陽の下の数百個の数千ルックスのカクテル光線ライトとではどちらが明るいといえるでしょうか?
「軽重」,「明暗」,「高低」という熟語が使われるのは、物事には絶対はなく相対的にしか捉えられないからなのです。
「相対」と「絶対」は言わば対概念とでも言えます。

 これらから物事は相対的に、バランスを踏まえ、観て考えるべきであるということがお分かりのことと思います。
 つまり「相・絶対」です。
 物事をより正しく捉えるには「個類全」(「内延」と「外包」)の関係で考えるのが哲学の方法です。
 そこで私は「個」と「全」に注目して正反対の考え、反意語・対義語、すなわち対概念同士を組みわせて考える方法を使うことにしました。

※1 この考え方は国民性とも言われる「二分法」思考である。(論理学用語。)
 お互いに正反対の考え同士のどちらかに、感情的に一方的思い入れをすると考えればよい。
 つまりブレ無い自信を持てないので、黒か白かがはっきりしていて、しかも多数派を占めている側に自分の頭で考えずに丸投げし、身を預けて一刻も早く安心を得たい、ということなのであろう。
→ ”日本は民主主義国家ではなく、衆愚国家に堕している。”
 思い起こせば、石油ショック時のトイレットペーパーの買い占め騒動や、バブルに国民全体が踊らされたり、今回の新型インフルへの過剰反応等等の色々なことがあった。

 二分法思考から抜け出すには、権威や報道に思考努力を丸投げにしなくても済む、自分なりに一貫できる判断基準を持たない限り、これからも国民全体が同じ方向へ突っ走る危険性が十二分ある。→”日本は円高で雇用空洞化する。大変だ。”との常識の根拠は一体何なのか?
例えば、選挙等の世論調査等の大勢に流れてしまうような。(「判断基準」補4 P.2参照)

 

・クラスィックは音を用いた”対概念思考法”

 今ひとつこの方法を採った理由はクラスィックの構成方法・作曲技法がこの考え方と良く合っているのです。
 と言うより、以下に示した無数の対概念の組み合わせで成り立っているのです。
この大バランスこそが“一貫性・永続性”の因であり、音楽(クラスィック)の素晴らしさ・秘密の最大の理由でしょう。
 以下にその数例を載せます。

音楽の素材   沈黙(休符) VS 「(楽)音 」
楽音・合成派   基音 VS 上部倍音(部分音) ※2-1,2
構成原理   変化(転調) VS 統一(原調)
  反復・変奏 VS 対照
音階・和声 「主(和)音」 VS 「属(和)音 」
  VS 「下属(和)音 」
 和音 「属和音」 VS 「下属和音」
音組織   調性 VS 旋法(含、民族音楽,十二音)
構成法   素材 VS 形式
  形式 VS 内容
  時間・楽式 VS 空間・アンサンブル
  協(和)和音・美 VS 不協(和)和音・醜

※2-1

 


 この譜例は、「楽音」が「基音」と「部分音」から成り立つ倍音構造・「合成派」であることを示す。気をつけずに聞くだけだと基音だけしか聞こえないが、訓練された耳には、第六部分音までは聞こえる。これ以降の音(列)については、楽音の快さ,美しさの秘密を知ろうとした古代ギリシャのピュタゴラス学派の数学者が計算して知っていたと伝えられる。

 

特徴 1. 隣り合う音同士は、黒符頭音以外は何と整数比(!!!)の関係にある。
  2. これらの音を縦に並べるとC上の長三和音に,長および短の各7°,長9°,減5°(=#11th:イレブンス)が含まれている。つまり基音ピッチC・スィーの楽音1コだけでロマン派の特徴である静謐感,憧景感等を表わすとされるヘ長調を感じ取ることもあり得る。 
  3. 楽音の快さ,美しさの秘密は"楽音のピッチ・「全体」"と"各部分音・「部分」"との秩序ある(=整数比)バランスにある。

 

 なお、この譜例は、ゲシュタルト心理学の認知モデルとしても採用されている。(参照:補1.中のストラヴィンスキー言、“人間と時間の間”について)


※2-2

 「沈黙」と「音」との相反する2つの素材の組合わせ のみ ●● で莫大な情報をやりとりするのが音楽であるが、これは言語と同じであり、 「0,1」の2つの数学だけを使う「2進法」のコンピューター言語と同じである。
 しかし、「楽音の4属性」(下記参照)が加わると「6(?)進法」となり、さらに音楽の6要素」を加えるとどうなるであろうか?
 万能と思われているコンピューターをはるかに遥かに超える情報量を音楽は持つことになる。→ 音楽の秘密

 

「楽音の4属性」:①長さ(→リズム),②大きさ,③高さ(→メロディー),④音色・おんしょく(_この属性は「自然音」にはない)

(クラスィック)音楽の6要素」:①「リズム・律動」,②「メロディー・旋律」,③「ハーモニー・和音」,④「ディナミク・音力法」,⑤「アゴギク・緩急法」,⑥「コロリート・音色法」 (④から⑥は「演奏・追創造」に含まれ、演奏家の個性・魅力を引き出すファクターの大きなものの1つ。)

 予定ラインナップ7にクラスィックは、西欧人の“自由”・“(新)秩序”を求める歴史の反映そのものであり、 音楽の秘密の大きな理由の一つである、と書きました。
 哲学が”一貫性・永続性を伴った善く生きる営み”を求め続け、文化がそこから生活様式・”生き方”を営々として生み出し続けて来たのであれば、 「音楽芸術」の生命である音の組み合わせ技法・作曲法には一貫性を持たせる必然性があります。
 その基盤が対概念思考であったと考えたのです。

 そうのなのです。「主観」には「客観」,「絶対」には「相対」,「同一性・共通点」には「差異性・相違点」,「美・一貫性・無矛盾性・完結性」には「醜」,
「長所」には「短所」,「個性」には「普遍性」等々の「表裏一体」によるバランス関係の上に一貫性・永続性が産まれるのです。

 また、この考えを「人生」に当てはめると、「人生」は「生」と「死」を組み合わせたものであり、生きている間だけを指すのでは無く、 善く生きる事は善く死ぬ事であることが分かります。 この真実からハイデッガー言 ”人は死に向かって成熟する存在である。”は十分に納得できる名言です。
(これは母の座右の銘であった。)

 つまり、死の床に行き着くまでに自分が辿りつきたい、いわば「自己の到達像」に向かって努力を続ける事が、瞬間瞬間を充実させ、 「生」を実感し、一貫できる生き方であり、それを最期に確かめられることが「善い死に方」,すなわち「善い生き方」である、
と対概念思考を深める事により、私は受け容れるようになりました。

 他にも、さまざまな応用ができるお薦めの考え方です。身近かの問題で考えがまとまらない時にお試しください。

 部分的なこと、または片面だけにとらわれてしまい、「全体」からのバランスのとれた見方をしていないことが多いものです。
 言葉一つを見直すだけでも、ものの見方,考え方,ひいては生き方までもが影響されることが多々あるものです。

 本当ですよ。

 

←  ”精神の再生条件は、精神の一時的仮死にある。” (「再生」と「仮死」も言わば対概念)

 

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